些細なボタンの掛け違い


「何気なく発した一言が
無邪気に相手を傷つける」

なんてことは
往々にしてあるかと
思います。

そのような場合、
言葉を発した側は
気にも留めていないので
すぐに忘れる。

しかし言葉を発せられた側は、
深く傷つき、
時間が経っても覚えている

なんてことも…


受けた傷は化膿し
ケロイドのようになり
跡が残ってしまう。

何十年もの長い年月が
経ったとしても

心の傷を負った人は
そのケロイドを見るたび
当時の心の痛みを
鮮明に思い出してしまう…


上記に関連して

僕は僕のことを振り返り
反省します。

とても多くの方に
ご迷惑をおかけし、

ここまで生きてきたと
この歳になって感じる
瞬間が増えました。

その一方で

ほぼ無自覚で発した
僕の言葉が
相手を深く傷つけている

ことも多くあった
だろうと思います。
懺悔したくなります。

その度に

「あっ、あ〜」
と声を上げ溜息を
ついてしまいます。

家でも時々やってしまうので

同居人(妻)が驚いて
「何?何かあった?」
と聞いてきます。

その度に、僕は
「なんでもない。
思い出したことがあっただけ」
と言ってごまかします。


そんな時
僕はこうも思います。

人間とは一瞬
反省することがあっても
同じ過ちを繰り返してしまう
生き物なのかも知れないと…

(「戦争はいけない」
と分かっていても
同じ過ちである
戦争を繰り返しますしね)

僕の場合も
時々反省はするのだけど

極度のあんぽんたんなので

日々無邪気に人を
傷つけているのだと
思います。


親子関係も
そのようなことが
往々にしてあるかと
思います。

親が何気なく発した一言を
子供は一生覚えている。

これが同族の事業承継を
難しくしている
一つの要因だと思っています。


僕の場合も

父親が(多分)自覚なく発した
何気ない一言を
今でもしっかり覚えています。

そして
それを時々思い出します。

こういうのって
フラッシュバックって
言うのでしょうか。

(最近は随分減ったけど…)


父は
昭和の経営者だったからか
家族の意見は聞かず

怒鳴る
手を出す
威張る

ことが多々あったように
記憶しています。

そのため

僕は子供の頃から
父に関して
常に恐怖心を
抱いて育ちました。


それが大人になって

僕の父への反発心を
増幅せたのだと思います。

中小企業診断士の資格を
頂いたのち、
父が経営する企業群に
関与してからは

「父をぎゃふんと言わせてやる」

ことが僕のモチベーション
だったような気がします。


そのため

「いかに浪花節の父に理詰めで勝つか」

が日々の僕の課題であった
時期がありました。

水と油の関係です。

でもそれじゃ、
経営も親子関係もうまく行くはず
ないですよね。

水と油だといくらかき回しても
分離したままですからね。


僕が抱いていたような負の感情を
一旦表出させ、家族と共有し、
その後解き放つ。

そして未来へと
目を向けるさせるのが
家族会議の一番の目的だと
僕は思っています。

P.S.

このあたりの感情のこと

いくらご説明しても
ご理解頂けないことも
正直あります。

経験の有無により
理解度が違ってくる
のかもしれません。

しかし僕と同じような
感情を抱いている
ご家族・企業には刺さります!

それはそれでしょうがないと
思っています。

僕も

僕と違う境遇の方が
抱き続けている痛みは
わからないので…

人の理解にはどうしても
限界がありますよね。

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