仕事観は20代で形成される!?
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高校を卒業するまでは
実家に住んでいたこともあり
なんとなく
親の庇護のもとで生活している
感覚がありました。
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その後も親に頼りっぱなし
なのですが、
それは一旦棚の上に置かせて
頂きます。
(空の上の父母に
いくら感謝してもしきれません)
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高校卒業後は
一年間の浪人生活を
させてもらって、
東京の私立大学に進学させて
もらいました。
大学4年間は
親元を離れてアパートでの一人暮らし。
ちょっと大人になった気がしました。
そして、大学時代は色々な
バイトをさせてもらいました。
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一番長かったのが
回転寿司店でのバイトです。
次に長かったのは
ラーメン店でのバイト。
そのほか
百科事典の営業や
家庭教師のバイトや
通っていた大学の図書館の
本の整理などのバイトを
経験させてもらいました。
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バイトを通して
大人が働いている現場を
垣間見ることが出来ました。
そして
お客様に何らかのモノを提供し
お金を頂く体験をしました。
そのことによって
僕の世界は確実に広がりました。
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大学を卒業して
勤めた総合スーパー。
最初の勤務先は東北地方です。
その後は上信越地方の店舗に
転勤になりました。
土地によってずいぶんと
文化や気質が違うものだと
感じました。
店舗が立地する
地域によって品揃えも
変わってくるんですよね。
面白いな~
と思いました。
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(話戻して…)
僕が大学の頃は
バブルまっさかりです。
バイト先の企業が
何台もマイクロバスを借りて
バイトを含めた
全従業員とその家族を
BBQに招待してくれる
そんな時代です。
就職氷河期以下の方では
考えられないかも
知れません。
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景気が良かったせいか、
バイト先でのまかないも
豪華でした。
寿司屋の板前さんが
作ってくれる
豪華な中華料理や天丼が
なんとも言えず美味しかったです。
そのため
長期にわたる夏休みでも
実家に帰らない年もありました。
年越しは
バイト仲間のしょーちゃん(男)と
TVゲームをして過ごしました。
バイトが終わると、午前1時頃から
板前さんの車に乗り込み
ボーリングやダーツ、ビリヤード
で遊ぶなどもしました。
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年配の板前さんからは
すしネタのさばき方の他
お客様との接客の仕方や
社会の仕組みのようなものを
教えてもらいました。
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板さんから教えて頂いた
社会の仕組み等は
ここでは具体的に
記せない内容です。
が、
それを聞いて僕がわかったのは
世の中には、実は、そこかしこで
人間の際限ない欲望が渦巻いており、
それによって社会が動かされている
決して
小学校の時の道徳の時間に
習ったことだけが現実では
ないようで、
また、経済合理性で
世の中が動いている訳ではない
ということです。
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大学を卒業する年には
バブルがはじけました。
就職した総合スーパーでは
売上が前年割れ続きとなりました。
そのせいか、
社内は、皆うつむきがちでした。
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その頃、社内で聞かれた言葉は
「わが社の過重な有利子負債がキツイ」
「社長の暴走。明らかなる戦略ミス」
「ボンボンの二代目が会社をダメにする」
「優良子会社を売却して当座をしのぐ」
「リストラで希望退職者を募る」
「不採算店舗の閉鎖」
「メイン銀行から社長がやってくる」
「外部の会社に株が買われ始めた」
「従業員は持ち株会を通じて株を買え」
「従業員は買い物はわが店舗でするように」
「(40代、50代、先輩従業員の発言)
昔のわが社は良かった」
「(40代、50代、先輩従業員の発言)
自分が退職するまで会社が持てば良いが…」
などでした。
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そのような20代を過ごしたので
僕は
・良い時代は永遠に続かない
(過去の延長線上に未来はない)
・会社はあてにならない
・環境はいつどのように変化するかわからない。
環境が変化した時、変われる自分でいたい
・世の中の評価は正当ではない。
必ず他からの力が加わりバイアスがかかる
という仕事観を持つようになりました。
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事業承継の場合、
社長である親と
後継者である子息の価値観が
全く違うケースは多々あります。
(古いかも知れませんが)
スマップの歌
「育ってきた環境が違うから
すれ違いはしょうがない♪」
という現象は頻度高く見られます。
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時代背景をそれぞれが知る。
このことも家族会議で
共有していきたい!!!
と思っています。

