叩かれるのを恐れてばかりの世界の末路


自然災害が多い昨今です。

ホント、
何があるかわからないですね。

やりたいことがあるなら
とっととやっておくべき
と思う今日この頃です。


話は変わりますが…

最近天気予報で伝える内容が
無難になっている
と感じるのは僕だけでしょうか?

例えば、

雨が降る確率が低いと判断していても
「念のために傘を持って出かけましょう」
とか

「ひょっとしたらどこかで
パラパラとくるかも知れません」

と伝えている場合などです。

※もしかすると…

気象が以前より不安定となっており
一昔前より天気予報が
難しくなっているのかも知れませんが…


そういう天気予報の時、僕は、

重くかさばる傘を持って家を出ますが、

実際には雨は降らず
「傘を持って出て失敗した」
と思うことが多いのです。

※もちろん逆の場合もありますが…

特に夏は夕立に降られることもあるはず。
でもその時は濡れて帰るという手もあります。


推測するに…

少しでも雨が降ると
クレームを言ってくる人が
増えたので
予報する側としては
予防線を張っておくのかも
知れませんね。

いずれにしても
SNSが隆盛なせいだからか

クレームを言いやすい世の中に
なったのかも知れません。

そのため

発言に気を付けなければならない
と思う瞬間が増えたのは
事実だと思います。


企業においても

どこからどのように叩かれるか
わからないので

セクハラ
パワハラ
などハラスメント系のほか

バイトテロなどにも
気を付けないといけない
時代になりました。


この風潮、

僕がある意味、脇のゆるい昭和
を知るおじさんだからか

少々過敏になり過ぎており、
行き過ぎであるようにも感じています。


過敏になり過ぎて
他者の目ばかりを気にするようになり
大勢に迎合するような社会って
どうなのでしょう。

尖った人だったら叩かれまくりそう。

であるなら

イノベーションって起こるのかな~
なんてことも考えます。


また

他者と深い関係性になると、
何かのきっかけで、
いきなり攻撃されるという
可能性も否定できない。

だったら
浅い付き合いのままで良いか

と考える人が増えないだろうか…

なんてことも思います。


○○ハラスメント
○○テロ
など

新しい言葉が出来て
今まで認知しなかった概念が
可視化される。

例えば「多動症」や「不登校児」
という言葉が世の中に流布し

学校になじめない子に対し
理解が増したことの反面

学校に行きたくない子への
免罪符となってはいないか

なんてことも
ついつい思ってしまうのです。

P.S.

(1)
全ての物ごとって
メリットもあれば
デメリットもあるのでしょう。

それらをどうとらえるかは
人それぞれだと思います。

しかし
長期的に見て生きづらい世の中に
向かっているとしたら…

(2)
何だか、最近、
ジェネレーションギャップを
感じることが多いのです。

頭が固くなっているのかも知れません。

(3)
「権利」ばかりを主張し
「義務」について考える人が減っている
とか

組織には忖度は必須?

がデフォルト(標準の状態)だとしたら…

なんてことを荒れた東京の街を
徘徊し思ってしまう。

う~ん、
結論としてどうりゃ~ええんか、わからん!

今日の駄文は、単なる愚痴になってしまった。
すみません。

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