無視はつらい上、話しが前に進まなくなる


マザーテレサさんが

【愛の反対は憎しみではなく
無関心である】

とおっしゃったそう。

深い言葉だと思います。


と…

ここで疑問が湧きます。

「無関心」と「無視」は
似ている言葉だけど、

された方はどちらが
辛いのか?

という疑問です。


ちなみに…

僕の解釈では

「無関心」は相手のことについて
意識にさえ上らないこと

対して

「無視」は相手について意識は
しているものの、
対話をしたくない

って感じかな~


小学校低学年の頃、

友達数人にA君が
無視され始めました。

僕はそのことを認識して
いましたが、
ずっと何もせず
傍観者でい続けました。

僕がA君をかばったら
ジャイアンみたいな友達
(いじめる側)が、僕に
何をしてくるかわからない

と思ったからです。

そんな僕は
くそ野郎だと思います。


本当であれば

僕はA君と普通に接し続ける
べきだったと思います。

それが難しいのであれば
先生に相談する等

僕がとるべき選択肢は
いくつかあったはずです。


ジャイアンのような友達たち
とA君の関係

これは「無関心」ではなく
「無視」だと思います。

お互いとても意識
していたはずですから…


結局A君は転校して
行きました。

それがいじめが原因なのか
それともご家庭の事情なのか
僕にはわかりません。

分かっていることと言えば
僕がくそ野郎だったこと
くらいです。


さて、さて、

B社では

経営者である父と
後継者である息子が

普段は相手を意識していないが
如く仕事をしていました。

いつ訪問しても

経営者も後継者も
話をすることなく
黙々と仕事をしており、

デスクを立ちトイレに
行く時なども
相手を避けて歩くほどです。


たまに業務上、

伝えるべきことがあれば、
相手の目を見ることなく
用件だけを伝えていました。

そして

伝えられた側は
何の返事もしませんでした。


この場合、

経営者である父と
後継者である息子は
十二分にお互いを
意識していたと思います。

なので

「無関心」ではなく
「無視」を装っていた
のだと思います。


僕が、父が経営する会社を
手伝っている時は

お互い
非常に相手を意識していた
と思います。


仲が芳しくなかった父と僕、

互いに過剰に意識しており

相手が近づいてくると
「話しかけるなよ」
オーラをサッとまとい、

もし話しかけてきたら
鬼の形相で
相手の話を聞いていました。

話を受けた方は
一応は返事をしていました。


(話は飛びますが…)

「無視」する人が一人でも
社内にいれば、
だんだんと社内から笑顔が
消えていきます。

ネガティブ感情を抱いた人が
まとった「気」は
すぐに組織内に伝染するからです。

ほどなくすると
そのような組織は
ギスギスし始めます。


(話を戻して…)

よくわからないのですが、

「無関心」だと
意識してないので
お互いが完全に自由になれる
気がします。

逆に「無視」だと
お互いが意識に乗せて
いるのでかなり辛いはず。


「無視」する方はそれなりの
理由があるのでしょうが、

「無視」された方は
思い当たる節がない場合、
非常に苦悩する
のではないでしょうか?


また

親子だと「無視」は装えるが
「無関心」になることは
出来ないと思います。

どうしても意識してしまう
ものだと思います。

だって親子なんですから。


親子で事業をしている場合、
腹は立つのでしょうけど

『正面切って話し合う』
ことから逃げないで
欲しいと思います。

『正面切って話し合う』
機会を持つために
僕は【家族会議】の
ファシリテーションを
しているのです。

P.S.

マザーテレサさんが
おっしゃった

【愛の反対は憎しみではなく
無関心である】

との言葉を聞いて思いました。

仲が悪くなっていくのは

「愛⇒愛情⇒すれ違い⇒怒り
⇒憎しみ⇒無視⇒無関心」
の順ではないかと…

であるならば
「無関心」の一歩手前である
「無視」されるのはやっぱり辛い…

「無視」はする方からの
一方通行なので、
前向きな話でも前進しなくなる。

全然生産的ではないですよ!

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