総合スーパーに勤めて心に刻んだこと


僕が学校を卒業して
勤めたのが

当時は
全国に120店舗以上あった
一部上場の総合スーパー。

なぜ総合スーパーに
勤めたかと言うと…

「店が開いている時間にしか
働くことはないだろう」
と安易に思っていたから。

ぬるま湯に浸かる
大学生の僕は
長時間労働は絶対に
したくなかった訳です。


が、甘かった。

店に配属されると

自分が休みの日でも
店は営業しているので
出勤することも多かった
のです。

また

出勤日に
体力の限界を感じるほど
フラフラになるまで働いた
時期もありました。

その頃は、20歳代なのに
「栄養ドリンクがお友達」
でした。


そんな総合スーパーで
仕事をさせて頂き
心に刻んだことは
大きくは2つあります。


1つ目は

同族企業の事業承継の難しさです。

ゼロから大手流通グループを
創った創業者の才能は
秀でたものだったと思います。

しかし

息子に社長の座を譲った
のは失敗だった
かもしれません。

なぜなら
借金過多が進み、
また業績が急激に下降
していったからです。

当時
「日本一偏差値の高い大学を出た
息子が社長になっても
会社を傾けてしまうんだ」

と思ったのを覚えています。


2つ目は

慢心は怖いな~
ということです。

創業者はリヤカーを引いて
布団や着物を売るところから
商売を始めたようです。

そこから数十年で
一気に大手流通グループに
育て上げました。

(先見の明があったのだと
思います)

しかし

そのことが却って
慢心の原因となったのかも…

そして

最終的には会社更生法を申請する
に至りました。


人からほめられると
有頂天になり
勘違いしてしまう僕ですが

「おごれるものは久しからず」

と思わずにいられません。

また
自分の子息可愛さに安易に
社長の座を譲ってはいけないのだ

とも思います。

P.S.

学歴、職歴大したことなくて
良かった~~~

と心底思っています。

誰でも
良い時代があればそのことが
頭から離れないものと思います。

しかし時代は変わります。

そのことに気づいて
自らを変えることが出来た者
から窮状を脱出できるのかも
知れません。

【総合スーパーに勤めて心に刻んだこと】


僕が学校を卒業して
勤めたのが

当時は
全国に120店舗以上あった
一部上場の総合スーパー。

なぜ総合スーパーに
勤めたかと言うと…

「店が開いている時間にしか
働くことはないだろう」
と安易に思っていたから。

ぬるま湯に浸かる
大学生の僕は
長時間労働は絶対に
したくなかった訳です。


が、甘かった。

店に配属されると

自分が休みの日でも
店は営業しているので
出勤することも多かった
のです。

また

出勤日に
体力の限界を感じるほど
フラフラになるまで働いた
時期もありました。

その頃は、20歳代なのに
「栄養ドリンクがお友達」
でした。


そんな総合スーパーで
仕事をさせて頂き
心に刻んだことは
大きくは2つあります。


1つ目は

同族企業の事業承継の難しさです。

ゼロから大手流通グループを
創った創業者の才能は
秀でたものだったと思います。

しかし

息子に社長の座を譲った
のは失敗だった
かもしれません。

なぜなら
借金過多が進み、
また業績が急激に下降
していったからです。

当時
「日本一偏差値の高い大学を出た
息子が社長になっても
会社を傾けてしまうんだ」

と思ったのを覚えています。


2つ目は

慢心は怖いな~
ということです。

創業者はリヤカーを引いて
布団や着物を売るところから
商売を始めたようです。

そこから数十年で
一気に大手流通グループに
育て上げました。

(先見の明があったのだと
思います)

しかし

そのことが却って
慢心の原因となったのかも…

そして

最終的には会社更生法を申請する
に至りました。


人からほめられると
有頂天になり
勘違いしてしまう僕ですが

「おごれるものは久しからず」

と思わずにいられません。

また
自分の子息可愛さに安易に
社長の座を譲ってはいけないのだ

とも思います。

P.S.

学歴、職歴大したことなくて
良かった~~~

と心底思っています。

誰でも
良い時代があればそのことが
頭から離れないものと思います。

しかし時代は変わります。

そのことに気づいて
自らを変えることが出来た者
から窮状を脱出できるのかも
知れません。

Follow me!