自分が子供の頃もひどかったが、それ以上に…


ホント

「ノスタルじじい」になってしまった
と感じる今日この頃の僕、

昔のことをつい思い出しちゃうのですよね。

「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」
という言葉が
グサグサ刺さってきます。

※ 痛い痛い…血が出るじゃん!


それでも昔のことを書いちゃいます。

僕が幼少期の頃
父親や学校の先生からよく怒られました。

父親からは
「スパルタ教育」という言葉とともに
怒鳴りと殴りを受けたように記憶しています。

父親に反発した僕は、家から追い出され
鍵を閉められたことは何度もあります。

家に入ることのできなかった僕は
その度に泣いていました(涙)


中学に入ると、学校の先生から
ケツバット(バットでおしりを叩く)や
ビンタを食らうのは当たり前でした。

教科書を頭の上に5冊くらい乗せ
それを両手で支え
廊下に立たされたこともあります。

そのことに対し、僕の母親は
「先生、うちの子への体罰をありがとうございます」
と言っていました。


当時は嫌でしたが、

どこかで

「そりゃー、
殴られても蹴られても仕方ない。
当たり前!」

と思っていた僕もいます。

悪いのは僕の方ですから…


今になって思うのは

父親も中学の先生も
僕を怒るなんて
面倒だし嫌だったと思うのです。

人を叱るのって気力も体力も使います。
人を叩くと自分の手も痛いです。

それでも叱って叩いてくれたことに
今では感謝しています。


この歳(60歳手前)になって

「学びは事後的」だと
強く思います!!!

後から

じんわりと学べることって
とても多くある

そう思わずにいられません。

よく
「あの時の辛さは今のためにあったのか」
と気づく

とも言われますものね。


また

「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる」
という言葉も忘れずに刻んでおかないと
いけません。

すっとこどっこい、バカ垂れの僕は
すぐに易きに流されてしまいます。


現代はどうなんでしょうね。
優しいお父さん、お母さんが増えたのでしょうか。

友達のような親子(友達親子)が
増えたような気もしています。


ある会社では
「昔のことは言ってはいけない」
という暗黙の了解が広がっていました。

またほかのある組織では
「自分たちの経験を今の人に強いてはいけません」
とおっしゃっていました。


ホントに

一見、世の中には優しい人が増えたように見えます。
しかし半面、
人間的なつながりが薄れてきたようにも思えます。

そして人間が弱くなったようにも思えてしまう…


繁華街など街を歩いていると
モラルダウンしたと思しき光景を
目にすることも増えてきました。
(ゴミ散乱の汚い光景をよく目にします)

転職が当たり前になったためか、

転職されないように上司や会社が優しく(何も言わなく)
なってきたのかも知れませんね。

その結果が今だとしたら…

P.S.

昔の世の中はどうなんだろう
と思うけれど、

今の世の中もどうなんだろう
と思わずにいられません。

これからの後継者は
僕の世代とは違う【前提】を持って
やってくるはず。

僕が当然だと思っていことを
彼らは当然だと思っていないと思います。

ジェネレーションギャップは
いつの時代もあるものでしょう。

若い世代の言うことも聞きつつ
時には厳しいことも言わなければいけないのでしょね。

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