年に1回の振り返り日
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2013年5月、
僕は右側の腎臓ごとガン細胞を
摘出しました。
そのため、現在
右側の腎臓はありません。
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時計の針を少し戻して…
2013年3月1日、
僕にガンがあることが
判明したその日
父が亡くなりました。
偶然かも知れませんが
僕は勝手に、
左側の腎臓を子供の頃
摘出した父が
僕の右側腎臓にガンが出来ていると
教えてくれたのだと
思っています。
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2013年以降は
年に一回、
手術をして頂いた
慶応大学病院で
術後の検査をしています。
そして検査結果が出た日を
色々なことを振り返り
考える日としています。
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ところで
僕が毎年して頂く検査は
血液検査とCT検査の
2種類です。
これまでは
血液を抜いても
CT検査で造影剤を
体内に注入しても
一度も
調子を崩したことは
ありませんでした。
しかし、
今年は造影剤を注入した
数秒後、気分が悪くなり
吐いてしまいました。
その原因は不明とのこと。
お医者さん曰く
何年も大丈夫であった人でも
造影剤で調子を崩す方は
いらっしゃるとのこと。
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毎年同じようなことを
していても
【急に危機は訪れる】
と思いました。
明日は誰にも分からない。
人生の折り返し地点を過ぎた今、
「残りの人生、どう生きていくか」
を真剣に考えなければいけない
のかも知れませんね。
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以下より
毎年読み直す文章を
貼り付けさせて頂きます。
↓ ↓ ↓
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僕が父の経営する企業群に
関わった7年間
父とは喧嘩ばかりしていました。
その頃の感情は
なかなか表現しづらいです。
当時つけていた日記を繰りながら
ゆっくりゆっくり時間をかけ
整理したとしても、
未だ無理かも知れません。
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2012年11月のこと、
実家にて、
父とこれまでにないくらいの
激しい喧嘩をしてしまいました。
お互い怒号を発しました。
父は頭に血が上ったようで
顔は真っ赤になっており、
鬼のような形相で
僕を睨みつけていました。
それに応じるかのように
僕は「もう知るか!」と
吐き捨てました。
そして
「もう二度と広島に帰らない。
あなたが死んでも帰ってこない」
とまで言ってしまいました。
その時の僕はわなわなと震え、
怒りで頬の筋肉がピクピクと
動いていたのを覚えています。
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実は当時、
父が経営する企業群は
非常に厳しい経営状態に
ありました。
そのため
金融機関のすすめもあり、
顧問税理士の先生や
事業再生にお詳しい税理士資格を
有す金融機関出身のコンサルタントの
先生に支援をお願いしていました。
お二人の先生には
公私にわたって非常によく
して頂きました。
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しかし…
僕は正直
家族・親族の感情(考え方)が
現在の窮状を招いている。
事業計画書を書いて
資金繰りに走り回る前に
『何故、現状に至ったか?』
を考え抜いた上で、
現状に陥った要因を
取り除かなければ
また同じことになる!
と思っていました。
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とはいえ、
当時より中小企業診断士の資格は
持っていましたが
僕は親族(いわゆる渦中の人)。
怒りにかられた僕が客観的視点より
現状(全体像)を把握することは無理。
なので
「お金のこと」は元より
「事業のこと」および
家族・親族間の「感情のこと」が
理解できる第三者(コンサル)に
手を貸してほしい
と切に願っていました。
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さて、さて、
時計の針を少し進めて…
父と大喧嘩をして4か月後の
2013年3月1日の午前中
僕が当時より住んでいる
東京都新宿区の
とある病院の診察室にて、
僕は、
僕の腹部のCT画像を見せられながら
「これが腎臓にできた癌ですね」
とお医者さんより告げられました。
PC画面に白く映る
癌細胞をぼ~っと見ながら
「まあ、治さなきゃいかんな」
と他人事のように思っていました。
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その日の午後は仕事の
打ち合わせがありました。
打ち合わせ時も特に取り乱すことなく、
また誰にも癌であることを明かさず、
淡々とスケジュールをこなしました。
打ち合わせが終わると
飲みに流れました。
ひとしきり飲んだ後、
店を出ると
激しく雨が降っていました。
路面に打ち付けられた雨が
足元を濡らします。
「駅まで歩くのが嫌だな~」
と思いはじめた時、
甥っ子からの着信に気づき、
折り返しの電話をしたところ
父が亡くなったことを告げられました。
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2013年3月1日に起こった
出来事に関して…
不思議なことが3つありました。
一つ目は
僕のがん発覚と父の死が
同じ日に起こったことです。
二つ目は
腎臓という臓器に関してです。
腎臓は「物言わぬ臓器」と
言われており、
痛みを発しないそうです。
しかし腹部に違和感を
感じていた僕は
近所の病院に行きCTを
撮ってもらいました。
それで癌が発覚しました。
三つめは
父は子供のころ
事故で左側の腎臓を提出しています。
そして僕は右側の腎臓に
癌が出来ました。
これらは
どういうことでしょうか。
何か意味があったのでしょうか。
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時計の針を現在に合わせます。
2024年2月某日、
僕は右腎臓を癌細胞とともに
摘出して頂いた
慶応大学病院で術後検診の
結果を聞いてきました。
結果は
血液検査においても
CT検査においても
「異常なし」でした。
執刀してくださった先生には
「もう手術して10年が経過しました。
一年に一回の検診もこれが最後です」
と言われました。
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心底ありがたいことと思います。
と同時に
検診は今回が最後か〜、
何だか少し寂しい…
と思いました。
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また
父や僕と同じような思いをしている
同族経営のご家族が
いることにも思いを馳せました。
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昔の父や僕、
および僕の家族のような方々を
(おこがましいですが)
側面から支援できる仕事を
していきたいと思っています。
P.S.
今では父に対して
全く怒りを感じてません。
逆に感謝しています。
父のおかげで
ここまで成長できましたし、
生の経営の現場というものを
経験することができました。
資金繰りで眠れない日も
多かったですが
貴重な経験でした。
50年経営をやってきた
父にしてみれば
僕はかわいくない時も
あったけれど…
時には頼りにしてくれた
ようにも思います。
実際、経営に対し
「お前はどう思う?」と
何度か聞かれました。
今となっては
僕の方がもっと素直になり
色々なことを教えてもらう
態度でいたなら…
と考えなくもありません。