清濁併せ吞む


亡くなりましたが
経営者をしていた
父がよく

「清濁併せ呑む」
と言ってました。

ちなみに
「濁併せ吞む」
の意味は、

心が広く、
善でも悪でも分け隔てなく
受け入れる。
度量の大きいことの例え

のようです。


父が
度量の大きいことの例え
として
上記言葉を使っていたのか

それとも
「少々悪いことをしなきゃ
会社を大きくすることは出来ない」

という意味で使っていたのか

今となっては確かめることは
出来ません。


しかし
僕は学生の頃から

「清濁併せ呑む」
との言葉を父から聞かされ

それを

「少々悪いことをしなきゃ
会社を大きくすることは出来ない」
という意味で使っていると
勝手に解釈して育ち

父が「清濁併せ呑む」
と言うたびに
猛反発してきました。


しかし社会人となり
世の中で揉まれるに従い

きれいごとだけで
世の中を生き抜いていくのは
難しいかも知れない…

と思うようになってきました。

これは別に

「人を騙して
こちらの利得を増やそう」
という意味ではないのですが…

念のため


今思うに…

父は僕に
生きた教育を
してくれていた

とも言えなくもない…

そんなことを思います。


そのように考えると
教育ってホント難しいな~
と思います。

「建前と本音」

「理想と現実」

など

どちらも教える
必要あると思いますけど

実際問題、

学校教育等では大っぴらに
「本音」や「現実」を
教えるわけには
いかないのでしょう。


であるならば、

子供たちは
社会に出て

痛い目を見てから
世の中のダークな部分を
理解するしかないのか…


企業の
「後継者教育」を考えるに…

先代が後継者に
「本音」や「現実」を
教えた方が

その後の
後継者の事業運営に
ポジティブに
作用するようにも
思います。


とはいえ…

同族企業の場合、

親である社長が、
子である後継者に

自分のダークな部分を
隠すことなく
本当のことを
伝えられるのか…

と問われれば

僕的には
「難しいだろうな~」
と言わざるを得ないです。


ダークな部分も含めて
後継者教育をしていく
必要はあるのでしょうが、

その難しさってある
ような気がします。


例えが変かも知れませんが

性教育は親はしづらい
というのと同じかも知れません。

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