尻の座りが悪く、悩むとき


僕だけかも知れませんが…

「小説の読み初め」

「映画の見初め」
に頻度高く感じること。

それは

脈略もなく
いきなり「ある場面」が出てきて
誰だかわからない人物が登場。
そして何かが起こる

という
オープニングパターンにより
僕の脳が混乱することです。


そんなオープニングだと

「えっ、一体全体
何がどうなっているの?」
と悩み、

次第に頭の中に「?」が
浮かんできます。


村上春樹さんの小説
「ノルウェーの森」
の読み始めがまさに
そんな感じだったように
記憶しています。

初めて「ノルウェーの森」を
読んだ時、
僕は大学生だったのですが

こんな始まり方の小説だと
一定数の読者は数ページ読んで離れ、

一定数の読者は
「これからどうなるのだ」と
興味を示し、
読み進めるのだろうな〜

と思ったことを覚えています。


さて、さて…

僕は新しい仕事を始める時、
混乱することが
稀ですがあります。

例えば、

初めてお会いした経営者と
数時間お話しして

「この経営者さんが3年後
○○のようになれば良いな〜」

と思えなかった時です。

言い換えるなら

僕の目の前にいらっしゃる
経営者さんは何を望んで
いらっしゃるのか?

僕に対して
どのようなことを
して欲しいと思って
いらっしゃるのか?

が見えてこない時です。


仮に、初見時、僕の頭の中に

「この経営者さんが3年後
○○のようになれば良いな〜」

と浮かんでこなくても
2〜3回お会いすると
自然と

経営者さんの3年後の像

が浮かんでくるのが
これまででした。


3年後の経営者さんの
理想像が浮かんでくると、

その会社の貸借対照表や
損益計算書の理想像も
朧げに浮かんでくる

ものだと思います。


それらが
ぼんやりとでも

浮かんでこなかった時は
ずっともやもやします。

お尻の座りが悪い
と感じてしまいます。

そんな時は

「僕のどのような思考が
邪魔しているのか?」

「僕はどんな事情が
分かっていないのか?」

「僕の認識の何が
理解を妨げているのか?」

などを考えます。

しかし考えても
ほとんどの場合わかりません。


結局のところ

僕の知識や経験、
心的態度・能力が不足
しているのだろうと思います。

それゆえ
把握すべき情報が把握できてなく
表面的な理解しかできていない
のだろうと思います。


何をどうすれば
そんな状態を解消できるのか?

未だわかりません。

P.S.

何らかの補助線を引かないと
理解できないことは
世の中多いですが、

補助線を引くことにより
もやもやが晴れ
(伏線が回収でき)
お尻の座りが一気に
よくなることもありました。

しかしな〜
多くの場合、

どう頑張っても

「他人は他人。
理解できないところは
理解できない」

ものだとも思います。

それが僕の限界かも…
悩みは尽きない…

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