"レディ「我」が"が出来るようになりたい!


「我」をコントロールして
生きることは
出来ないのでしょうか?

また

「我」の強い人が増えると
争いが起こるのでしょうか?


ちなみに…

「我」の意味を
ネットで検索
してみました。


読みやすいよう
一部、僕の方で説明分を
変えています。

① 仏語。人間の個体全体。
また、その個体の中心生命。

② 考えや決意などを
固く守り抜こうとする心。
意地。

③ 自分勝手なことを主張して、
人に従おうとしない心。
わがまま。我意。

④ 認識、意志、行動の主体として、
他から区別される自分。自我。

(コトバンクさんより)


以下よりは
主に③の意味で「我」という
言葉を使っていきます。


人間が全くできていない
わがままで意固地な僕には、
「我」がまとわりついています。

「我」はなかなかしつこいです。

思い出した時に振り払うのですが
次の瞬間には
僕にまとわりついています。


時に「我を張りすぎた」
と反省するものの

忘れた頃
ひょっこりはんのように
「我」が顔を見せます。


総合スーパーに勤めている頃、
大変な時期がありました。

その頃は、
体力的にもきつく
一度椅子に座ったら
立ち上がりたくない
くらい毎日疲労して
いました。

いつも栄養ドリンクを
飲んでました。


当時はマニュアル車で
通っていたのですが、

ほんの少し後ろ側に
傾斜した道で
信号待ちしている時、

ギアも入れず
(ニュートラルのまま)
またサイドブレーキも引かず

右足でフットブレーキを
踏んでいた
だけだったのですが、

足に力が入っておらず

僕の車がスルスルっと
後ろに下がってしまいました。

そして僕の後ろに
停まっていた車に
コツンとぶつかってしまいました。

すると、

後ろの車の運転手さんは
僕の車に駆け寄って来て

「何やってんだ、お前!」
と怒り始めました。

僕は

「すみません。
仕事で疲れてて…
足に力が入らないのです」
と蚊の泣くような声で返答すると

「馬鹿かお前、無理するな」
的なことをおっしゃり

一旦バックして僕の車を
抜き去り、行かれました。


その頃の僕は
20代後半。

自分の苦労を周囲の人に
わかって欲しくて
「我」を張り

部下と対立していた
ようにも思います。

僕が我を
張ってしまったので

当然に
部下と僕の気持ちは
離れたまま…

(痛い思い出です)


中小企業診断士となって
父の会社を手伝っていた頃も

僕の抑えきれない「我」は
猛威を振るっていました。

ということで

当然に経営者である父とは
真正面から衝突しており

対話はほとんどありませんでした。

(とても痛い思い出です)


やれ、やれ…

今では時々、

僕のように「我」が強いため
苦しんでいる人達に出会います。

その方たちからは

「人に合わせられないのです」

「人の気持ちがわかりません」

「自分の考えが絶対正しいと
思ってしまうのです」

「思い込みが強いのかも
知れないですが、
人から自分と違う意見を
言われると腹が立つんです」

と言われます。


そのように言われた時

「僕もです…汗」
といつも心の中で思ってしまいます。


僕は

「我」を持つことについて
バランスを取っていきたい

と切望しています。

具体的には

この話の流れでは
「我を張っちゃいそう」
と感じたら

自分の気持ちを落ち着ける
準備を始める

なんてことが出来れば良いな~
と思っています。


なので

心がざわざわしてきたら

"レディ「我」が"
と三回唱え、

【どうやら僕の中で

「我」が出て来る準備を
始めたようだ。

僕は意識的に
心を準備しよう(整えよう)】

と思えるようになりたいと
考えています。


一生かかっても完ぺきには
出来そうにないけれど…


(話変わって…)

同族経営では(も)

感情に任せ、
家族・親族が
争うことが多いです。

家族会議をする時

【レディ「我」が】

って大きな文字で
紙に書いて
貼っておくと
何とかならんかな~?

P.S.

多分何ともならんでしょうね。

それくらいで解決するなら
誰も苦労してないはず。

でも…

我の張り合いで
家族全員が嫌な思いをし、
事業がうまくいかないのは
勿体ないですよね。

我の張り過ぎは
自分の周りの人を不幸にする
ことも往々にしてあるような
気がします。

怖いことです。

自分の身体も傷つけますしね。
人も離れていきます。

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