腎臓がん術後検診の帰り道、思ったこと


僕が父の経営する企業群に
関わった7年間

父とは喧嘩ばかりしていました。

その頃の感情は
なかなか表現しづらいです。

当時つけていた日記を繰りながら
ゆっくりゆっくり時間をかけ
整理したとしても、

未だ無理かも知れません。


平成24年11月のこと、

実家にて、

父とこれまでにないくらいの
激しい喧嘩をしてしまいました。

お互い怒号を発しました。

父は頭に血が上ったようで
顔は真っ赤になっており、
鬼のような形相で
僕を睨みつけていました。

それに応じるかのように

僕は「もう知るか!」と
吐き捨てました。

そして

「もう二度と広島に帰らない。
あなたが死んでも帰ってこない」
とまで言ってしまいました。

その時の僕はわなわなと震え、
怒りで頬の筋肉がピクピクと
動いていたのを覚えています。


実は当時、

父が経営する企業群は
非常に厳しい経営状態に
ありました。

そのため
金融機関のすすめもあり、

顧問税理士の先生や
事業再生にお詳しい税理士資格を
有す金融機関出身のコンサルタントの
先生に支援をお願いしていました。

お二人の先生には
公私にわたって非常によく
して頂きました。


しかし…

僕は正直

家族・親族の感情(考え方)が
現在の窮状を招いている。

事業計画書を書いて
資金繰りに走り回る前に

『何故、現状に至ったか?』
を考え抜いた上で、

現状に陥った要因を
取り除かなければ
また同じことになる!

と思っていました。


とはいえ、

当時より中小企業診断士の資格は
持っていましたが
僕は親族(いわゆる渦中の人)。

怒りにかられた僕が客観的視点より
現状(全体像)を把握することは無理。

なので

「お金のこと」は元より

「事業のこと」および
家族・親族間の「感情のこと」が
理解できる第三者(コンサル)に
手を貸してほしい

と切に願っていました。


さて、さて、
時計の針を少し進めて…

父と大喧嘩をして3か月後の
平成25年3月1日の午前中

僕が当時より住んでいる
東京都新宿区の
とある病院の診察室にて、

僕は、

僕の腹部のCT画像を見せられながら
「これが腎臓にできた癌ですね」
とお医者さんより告げられました。

PC画面に白く映る
癌細胞をぼ~っと見ながら
「まあ、治さなきゃいかんな」
と他人事のように思っていました。


その日の午後は仕事の
打ち合わせがありました。

打ち合わせ時も特に取り乱すことなく、
また誰にも癌であることを明かさず、
淡々とスケジュールをこなしました。

打ち合わせが終わると
飲みに流れました。

ひとしきり飲んだ後、
店を出ると
激しく雨が降っていました。

路面に打ち付けられた雨が
足元を濡らします。

「駅まで歩くのが嫌だな~」
と思いはじめた時、

甥っ子からの着信に気づき、
折り返しの電話をしたところ
父が亡くなったことを告げられました。


平成25年3月1日に起こった
出来事に関して…

不思議なことが3つありました。

一つ目は
僕のがん発覚と父の死が
同じ日に起こったことです。

二つ目は
腎臓という臓器に関してです。

腎臓は「物言わぬ臓器」と
言われており、
痛みを発しないそうです。

しかし腹部に違和感を
感じていた僕は
近所の病院に行きCTを
撮ってもらいました。

それで癌が発覚しました。

三つめは
父は子供のころ
事故で左側の腎臓を提出しています。

そして僕は右側の腎臓に
癌が出来ました。

これらは
どういうことでしょうか。

何か意味があったのでしょうか。


時計の針を現在に合わせます。

令和5年1月、

僕は右腎臓を癌細胞とともに
摘出して頂いた
慶応大学病院で術後検診の
結果を聞いてきました。

結果は

血液検査においても
CT検査においても
「異常なし」です。


心底ありがたいことと思います。

と同時に

父や僕と同じような思いをしている
同族経営のご家族が
いることにも思いを馳せます。


昔の父や僕、

および僕の家族のような方々を
(おこがましいですが)

側面から支援できる仕事を
していきたいと思っています。

P.S.
今では父に対して
全く怒りを感じてません。

逆に感謝しています。

父のおかげで
ここまで成長できましたし、

生の経営の現場というものを
経験することができました。

資金繰りで眠れない日も
多かったですが
貴重な経験でした。

50年経営をやってきた
父にしてみれば
僕はかわいくない時も
あったけれど…

時には頼りにしてくれた
ようにも思います。

実際、経営に対し
「お前はどう思う?」と
何度か聞かれました。

今となっては

僕の方がもっと素直になり
色々なことを教えてもらう
態度でいたなら…

と考えなくもありません。

【腎臓がん術後検診の帰り道、思ったこと】


僕が父の経営する企業群に
関わった7年間

父とは喧嘩ばかりしていました。

その頃の感情は
なかなか表現しづらいです。

当時つけていた日記を繰りながら
ゆっくりゆっくり時間をかけ
整理したとしても、

未だ無理かも知れません。


平成24年11月のこと、

実家にて、

父とこれまでにないくらいの
激しい喧嘩をしてしまいました。

お互い怒号を発しました。

父は頭に血が上ったようで
顔は真っ赤になっており、
鬼のような形相で
僕を睨みつけていました。

それに応じるかのように

僕は「もう知るか!」と
吐き捨てました。

そして

「もう二度と広島に帰らない。
あなたが死んでも帰ってこない」
とまで言ってしまいました。

その時の僕はわなわなと震え、
怒りで頬の筋肉がピクピクと
動いていたのを覚えています。


実は当時、

父が経営する企業群は
非常に厳しい経営状態に
ありました。

そのため
金融機関のすすめもあり、

顧問税理士の先生や
事業再生にお詳しい税理士資格を
有す金融機関出身のコンサルタントの
先生に支援をお願いしていました。

お二人の先生には
公私にわたって非常によく
して頂きました。


しかし…

僕は正直

家族・親族の感情(考え方)が
現在の窮状を招いている。

事業計画書を書いて
資金繰りに走り回る前に

『何故、現状に至ったか?』
を考え抜いた上で、

現状に陥った要因を
取り除かなければ
また同じことになる!

と思っていました。


とはいえ、

当時より中小企業診断士の資格は
持っていましたが
僕は親族(いわゆる渦中の人)。

怒りにかられた僕が客観的視点より
現状(全体像)を把握することは無理。

なので

「お金のこと」は元より

「事業のこと」および
家族・親族間の「感情のこと」が
理解できる第三者(コンサル)に
手を貸してほしい

と切に願っていました。


さて、さて、
時計の針を少し進めて…

父と大喧嘩をして3か月後の
平成25年3月1日の午前中

僕が当時より住んでいる
東京都新宿区の
とある病院の診察室にて、

僕は、

僕の腹部のCT画像を見せられながら
「これが腎臓にできた癌ですね」
とお医者さんより告げられました。

PC画面に白く映る
癌細胞をぼ~っと見ながら
「まあ、治さなきゃいかんな」
と他人事のように思っていました。


その日の午後は仕事の
打ち合わせがありました。

打ち合わせ時も特に取り乱すことなく、
また誰にも癌であることを明かさず、
淡々とスケジュールをこなしました。

打ち合わせが終わると
飲みに流れました。

ひとしきり飲んだ後、
店を出ると
激しく雨が降っていました。

路面に打ち付けられた雨が
足元を濡らします。

「駅まで歩くのが嫌だな~」
と思いはじめた時、

甥っ子からの着信に気づき、
折り返しの電話をしたところ
父が亡くなったことを告げられました。


平成25年3月1日に起こった
出来事に関して…

不思議なことが3つありました。

一つ目は
僕のがん発覚と父の死が
同じ日に起こったことです。

二つ目は
腎臓という臓器に関してです。

腎臓は「物言わぬ臓器」と
言われており、
痛みを発しないそうです。

しかし腹部に違和感を
感じていた僕は
近所の病院に行きCTを
撮ってもらいました。

それで癌が発覚しました。

三つめは
父は子供のころ
事故で左側の腎臓を提出しています。

そして僕は右側の腎臓に
癌が出来ました。

これらは
どういうことでしょうか。

何か意味があったのでしょうか。


時計の針を現在に合わせます。

令和5年1月、

僕は右腎臓を癌細胞とともに
摘出して頂いた
慶応大学病院で術後検診の
結果を聞いてきました。

結果は

血液検査においても
CT検査においても
「異常なし」です。


心底ありがたいことと思います。

と同時に

父や僕と同じような思いをしている
同族経営のご家族が
いることにも思いを馳せます。


昔の父や僕、

および僕の家族のような方々を
(おこがましいですが)

側面から支援できる仕事を
していきたいと思っています。

P.S.
今では父に対して
全く怒りを感じてません。

逆に感謝しています。

父のおかげで
ここまで成長できましたし、

生の経営の現場というものを
経験することができました。

資金繰りで眠れない日も
多かったですが
貴重な経験でした。

50年経営をやってきた
父にしてみれば
僕はかわいくない時も
あったけれど…

時には頼りにしてくれた
ようにも思います。

実際、経営に対し
「お前はどう思う?」と
何度か聞かれました。

今となっては

僕の方がもっと素直になり
色々なことを教えてもらう
態度でいたなら…

と考えなくもありません。

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